1931年生まれ。父は軍人。第2次世界大戦中を蒙古、中国-満州で過ごす。戦争終結直前に士官候補生として陸軍入隊。終戦と共に、母親と幼い弟3人、祖母の手を引いて約2年間、満州の荒野を彷徨う。やがて無事帰国。9年間、青春時代を母の故郷、岡山で過ごす。戦争中は軍人への道と死ぬ事を教育され、戦後は母に生きる事を学んだ。与えたれた民主主義の意味を理解しかねている時、アメリカ映画が本当の民主主義の意味を教えてくれた。それは素朴だが、鮮烈な感動を与えられ、アメリカ研究とアメリカ映画に夢中になる。
中学を中退、夜間高校を仲間と作ってもらって学び、卒業と共に公務員に。しかしそれを捨て、24歳でアメリカの映画会社である20世紀フォックスの宣伝マンになる。一方、慶応義塾大学でアメリカ文学を学び、更に江戸庶民文学研究に没頭。やがて母が世を去り、残された幼い弟、妹を東京に引き連れ仕事と生活の戦いを展開。ヘッドハンティングで日本ユナイト映画の宣伝総支配人となり、39歳の時NTVの映画番組の解説者に指名され独立、以来映画批評家として立つ。自分の好きな映画だけ解説し、その映画を放送できる番組を作り、東京や大阪で独自の映画論を展開。書籍出版も30冊に及ぶ。
ミステリー映画「シベリア超特急」を脚本・監督。カルト映画として知識層の大きな支持を受ける。
その他に、独自の風貌を生かし、演技面でも活躍。「シベリア超特急」に続いて、山下奉文ミステリーシリーズ「シベリア超特急2」を製作。「シベリア超特急3」「シベリア超特急4」の準備に続いて「旅路/巨杉物語」と連結。また、日本の文学を世界の話に脚色した「好色五人女」を舞台脚本として完成させた。
更に、世界の警察を回り、実際にアメリカでは警察学校に行き、都市警察や郡警察では制服や装備を着用し警察官として約10年生活。
アメリカの大学への論文が認められ、警察学博士号・芸術学博士号。社会学博士号を受けている。
オハイオ州立ライトステイト大学及びアリゾナ大学より請われて、客員教授として日本文化論を教えた。
日本アカデミー賞、ゴールデン・グロス賞、日本映画批評家大賞の発案者であり、また実行者でもあって、日本映画の発展に全力をあげている。
|